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向き合い続けている人を見て感じていたこと
スキンケアを続けている人を見ると、どこか別の世界の人のように感じてしまったことはありませんか。毎日きちんと触れて、習慣を崩さず、迷いもなさそうに向き合っている。そんなイメージが頭の中で出来上がっていると、「自分とは違う」「あの人は特別だ」と、無意識に線を引いてしまうことがあります。
SNSやブログで目にする「向き合い続けている人」は、落ち着いている印象や整っている様子だけが切り取られていることがほとんどです。日々のケアを続けている話や、習慣として定着しているエピソードを見るほど、自分が距離を置いてしまった日や、何もできなかった時間が、余計に重たく感じてしまうこともあります。
「意識が高い人」というイメージ
向き合い続けている人に対して、「意識が高い」「我慢強い」「ストイック」といった印象を持っていたかもしれません。そのイメージが強いほど、自分が続かなかった理由を「気持ちが弱いから」「向き合い方が足りないから」と結びつけてしまいやすくなります。本当は生活のリズムも環境も違うのに、同じ基準で比べてしまうことで、自分だけができていないような感覚が強まっていきます。
向き合い続けている人を見た瞬間に湧いてくるこの感情は、決して珍しいものではありません。むしろ、真剣に肌と向き合おうとしてきた人ほど、比較の中で自分を責めやすくなることがあります。
距離を置いている自分だけが目立って見えた
自分が手を止めているタイミングでは、周りが全員前に進んでいるように感じることがあります。向き合い続けている人の話ばかりが目に入り、「距離を置いている自分」だけが取り残されているような感覚になることもあるでしょう。
でもそのとき見えているのは、続いている人の一部分だけです。触れなかった日や、気持ちが向かなかった時間、迷っていた瞬間は、ほとんど表に出てきません。それでも、比較の材料として使われるのは、いつも「続いている姿」だけになりがちです。
「向き合い続けている=離れていない」という思い込み
向き合い続けている人は、一度も距離を置いたことがない、という思い込みも、気づかないうちに作られていきます。休まず、迷わず、一定のペースで続けてきたように見えるからこそ、「自分は一度離れた時点で合っていない」と結論づけてしまうのです。
この段階ではまだ、「向き合える人」と「距離を置いてしまった自分」を分けて考えている状態です。その分け方自体が、あとから振り返ると少し極端だったことに、気づくきっかけがやってきます。
向き合い続けている人を見て感じていたことは、憧れだけではなく、劣等感や焦り、不安が混ざった複雑な感情だったのかもしれません。その感情を否定せずに一度受け止めることが、この先の見方を変えるための最初の一歩になります。
自分には合っていないと思っていた理由
スキンケアを続けている人を見れば見るほど、「自分には合っていないのかもしれない」と感じる場面が増えていった、という人は少なくないと思います。向き合おうと始めたはずなのに、途中で距離を置いてしまった経験があると、その一度の出来事が、いつの間にか自分全体の評価のようになってしまうことがあります。
「合っていない」という言葉は便利で、理由をひとまとめにしてくれます。続かなかったのは性格の問題、意識の違い、向き不向き。そうやって片づけてしまうと、これ以上考えなくて済むような気がするからです。
距離を置いた経験が強く残りすぎていた
実際には、しばらく向き合えていた時期や、意識できていた時間もあったはずなのに、記憶に残るのは「離れてしまった瞬間」だけ、ということはよくあります。最後に手を止めた場面が強く残ってしまうと、その前に積み重ねていた時間まで、なかったことのように感じてしまいます。
途中まで向き合えていた事実よりも、「続かなかった」という結果だけを見てしまうと、自分には最初から合っていなかった、という結論に引っ張られやすくなります。
できなかった理由を自分に結びつけていた
忙しかった、余裕がなかった、気持ちが向かなかった。そうした状況的な理由があったとしても、「でも続いている人はやっている」と思ってしまうと、自分の事情が弱く見えてしまいます。
その結果、「環境の問題」ではなく、「自分の問題」として捉えるようになります。合っていない、向き合う力が足りない、という言葉は、そうした思考の流れの中で自然に出てきたものかもしれません。
「向き合い続けている人」と同じ基準を当てはめていた
向き合い続けている人のやり方を、そのまま基準にしてしまうことも、「合っていない」と感じる原因になりやすい部分です。毎日触れる、決まった流れを守る、記録を残す。そうしたやり方ができない自分を見るたびに、「やっぱり無理だ」と確認してしまうような感覚になります。
でも、そのやり方が自分に合っているかどうかを考える前に、「できない=合っていない」と判断してしまっていた可能性もあります。
比べる視点が外に向きすぎていた
向き合い続けている人と比べるとき、見ているのはいつも「今の印象」や「表に出ている姿」です。一方で、自分については、距離を置いた過程や、迷っていた時間、できなかった日の気持ちまで含めて見てしまいます。
比べる材料がそろっていない状態で比べていれば、自分のほうが劣って見えるのは自然なことです。それでも、その比較を続けているうちに、「自分には合っていない」という考えが、事実のように固まっていきます。
合っていないと思っていた理由は、必ずしも自分そのものに原因があったわけではなく、見方や基準の置き方によって作られていた部分も大きかったのかもしれません。
向き合い続けている人も、同じように離れていた
スキンケアを続けている人を見ると、「あの人は最初から離れずに向き合ってきたんだろうな」と感じてしまうことがあります。途中で手が止まったり、気持ちが離れたりすることなく、淡々と続けられる人。そんなイメージを無意識に重ねてしまうと、自分との差がよりはっきりしたもののように感じられます。
でも、よく話を聞いてみると、向き合い続けている人たちも、実は何度も距離を置いています。生活が忙しくなったり、余裕がなくなったり、気持ちが向かなくなったり。そのたびに、しばらく何もしなかった時期があった、という話も珍しくありません。
離れていた時間は表に出にくい
向き合い続けている人が発信している内容や、周りから見える姿には、「できている部分」だけが残りやすいものです。距離を置いていた期間や、何もしていなかった日々は、あえて語られないことも多く、見えにくい場所に置かれがちです。
そのため、見る側は「ずっと向き合ってきた人」という印象を持ちやすくなります。実際には離れていた時間があっても、それを含めた全体像を見る機会が少ないだけなのかもしれません。
離れたあとにどうしていたかの違い
話を聞いていくと、向き合い続けている人と自分の違いは、「離れなかったこと」ではなく、「離れたあとにどうしていたか」だった、というケースもあります。完全にやめたと思っていた期間でも、気が向いた日に少し意識したり、また戻れそうな余地を残していたり。
一度距離を置いた時点で「もう終わりだ」と区切ってしまうか、「また向き合えるときに戻ればいい」と考えていたか。その捉え方の差が、結果として「続いている人」という見え方につながっていることもあります。
離れた回数より、戻った回数
向き合い続けている人ほど、実は距離を置いた回数も多い、という話をすることがあります。手が止まりそうになった回数、気持ちが離れた回数、そのたびに形を変えながら戻ってきた回数。そうした積み重ねのほうが、今につながっているという感覚です。
距離を置くこと自体が特別なのではなく、離れたあとに完全に切ってしまうか、細くても関係を残しておくか。その違いが、大きく見えていただけなのかもしれません。
離れていた事実が消えているわけではない
向き合い続けている人も、過去に何度も「もう触れなくなるかもしれない」と感じています。ただ、その経験が消えているわけではなく、今は語られにくくなっているだけ、という場合も多いです。
そう考えると、「自分だけが離れていた」という感覚は、少しだけ揺らいでくるかもしれません。距離を置くこと自体が特別なのではなく、多くの人が通ってきた過程の一部だった、という見え方もできそうです。
向き合い続けるという言葉の捉え方が少し変わった話
向き合い続けている人の話を聞いたり、これまでの自分の流れを振り返ったりする中で、「続ける」という言葉の捉え方が少し変わってきました。以前は、間を空けずに触れ続けることだけが、向き合い続けることだと思っていました。一度でも距離ができたら終わりで、また最初からやり直し、という感覚です。
けれど実際には、離れていた時間も含めて続いている、という考え方も成り立つのだと気づきました。何もしなかった期間があっても、完全に切らず、また戻れる余地を残している。その状態も、ひとつの「続いている形」なのかもしれません。
毎日触れることだけが基準ではなかった
向き合い続けるという言葉に縛られていた頃は、毎日触れること、決めた流れを守ることが基準になっていました。その基準から外れた瞬間に、「もう続いていない」と判断してしまっていたように思います。
でも、頻度や距離感が変わっても、完全に手放さなければ、それはまだ途切れていない状態とも言えます。毎日でなくても、思い出したときに意識する。完璧ではなくても、細く関係を保ち続ける。その形も、続いている一部として扱っていいのだと感じるようになりました。
離れても戻れる感覚を持つ
向き合い続けられる人は、強い意識で踏ん張っているというより、「また戻ればいい」という感覚を持っていることが多いようです。一度離れたからといって、自分を切り離さない。その余白があるから、戻ることへのハードルが下がります。
反対に、距離を置くことを失敗だと強く捉えてしまうと、戻ること自体が重たくなります。その結果、向き合えない自分という印象だけが残ってしまうのかもしれません。
向き合い方は一つではない
向き合い続けることには、いくつもの形があります。一定の距離で淡々と関わる人もいれば、離れながら行き来する人もいます。どちらが正しいという話ではなく、自分にとって戻りやすい形かどうかが大切なのだと思います。
「続けられない」と感じていた過去も、見方を変えれば「何度も戻ってきていた」と言い換えられるかもしれません。向き合い続けるという言葉の意味が少し変わるだけで、自分に向けていた評価も、少しやわらいでいくように感じています。

